阿部一二三の兄は国家公務員の入国警備官?泣き虫を支えた立役者だった

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柔道男子66㎏級の阿部一二三選手は、2024年パリオリンピック出場が決定し、東京オリンピックに続いて連覇を期待されている注目の選手です。

阿部一二三選手は3人兄妹で、妹の阿部詩選手と長男の勇一朗さんがおられます。

実は勇一朗さんは一二三選手の柔道人生に大きな影響を与えたお兄さんでした。

そして顔が一二三選手や詩選手と同様に美形なので、話題となりました。

この記事では阿部一二三選手の兄、勇一朗さんについてご紹介していきます。

目次
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阿部一二三のイケメン兄は国家公務員!職種は入国警備官?

阿部一二三選手には、

2歳年上の長男・阿部勇一郎
3歳年下の妹・阿部詩

の2人の兄妹がおられます。

引用元:週刊女性prime

妹の阿部詩選手は柔道女子52㎏級で、一二三選手と東京オリンピックで揃って金メダルを獲得されたことで有名ですね。

上記画像の真ん中のほっそりイケメンが長男の勇一朗さんです。

3人ともよく似ていて美形ですね。

お兄さんは柔道選手じゃないの

勇一朗さんは小学生の時で柔道はやめられたみたい

長男の勇一朗さんは柔道選手ではなく現在は、

国家公務員

のお仕事をされています。

夢へ突き進む2人を見て「僕もしっかりしなきゃいけない」と一念発起。国家公務員になる目標を実現させた。

引用元:スポーツ報知

国家公務員といっても様々な職種があり、どういったお仕事をされているのか公表されていません。

勇一朗さんのインタビューの中で、高2の進路を考える時に国家公務員に挑戦することを決められたとあります。

そのことから推測すると、高卒で国家公務員の道に進まれたかもしれませんね。

進路に悩んでいた高校2年の頃、中学生の全国大会で2連覇した弟の活躍に刺激を受けた。「自分もしっかりしないとダメだ」と考え、国家公務員になることを決意した。

引用元:https://www.nikkansports.com

そしてこんなポストがありました。

東京オリンピックで兄妹金メダルを獲ったあとに、ポスターに一二三選手と詩選手が登場されていました。

このポスターに載ることが決まったのは、

長男の勇一朗さんとの繋がり

ということがわかっています。

国家公務員の長兄の繋がりで入国警備官のポスターに登場

引用元:週刊文春

入国警備官は高卒で受験できる国家公務員の職種です。

ということはもしかしたら勇一朗さんは

入国警備官

なのかもしれませんね。

入国警備官のお仕事は、

日本を訪れる外国人の出入国審査、日本に在留する外国人の在留資格審査、出入国管理等を行い、法に違反する外国人を調査し日本の安全を守る

という重要なお仕事になります。

海外の方との国際交流はとても大切ですが、犯罪は見過ごすことはできません。

入国の際に調査し、犯罪を未然に防ぐということでも入国警備官のお仕事はとても大切ですね。

入国警備官は、不法入国者、不法残留者、不法就労等の在留目的外の活動を行う者など法に違反する疑いのある外国人を調査し、国外に退去させるための手続を行う。

引用元:job tag

あくまでも勇一朗さんが、入国警備官かどうかは推測ですのでご了承くださいね。

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阿部一二三の兄は泣き虫を支えた影の立役者

阿部一二三選手と詩選手が優秀な柔道選手なので、長男の勇一朗さんも柔道の素質があるはず。

勇一朗さんは、

小学校6年まで柔道を続けていた

とのことです。

きっかけは、

阿部一二三選手が泣き虫で困ったお母さんに頼まれた

そうです。

自分からやりたかったわわけじゃないのね

弟思いのお兄ちゃんだったのね。

一二三選手は自分が好きで柔道を始めたけれど、練習の時に整列するだけで泣いていたそうです。

柔道はやりたいけれど、身体が小さかったこともあり圧倒されてしまったとのこと。

一二三選手は6歳から柔道を始めたので、そのくらいの時期は年上の子供はとっても怖い存在だと感じますね。

投げられた時は痛いし、不安だったのでしょう。

「一二三は自分から“柔道を始めたい”と言ったものの、道場に通い始めてからは泣いてばかり。一緒に練習する小学6年生は、身体が2倍も3倍も大きかったので、圧倒されていたんでしょう。“負けて悔しい”“投げられて痛い”といったレベル以前に、整列するだけで泣いていましたからね」

引用元:週刊女性prime

いつも泣いている一二三選手を心配したお母さんの秘策が、勇一朗さんも柔道を一緒に習わすことでした。

一二三選手と勇一朗さんはいつもとても仲良しだったので、お母さんの作戦は成功して一二三選手は泣かなくなったとのこと。

お兄ちゃんととても仲良しだったから、心強かったのでしょうね。

2歳下の一二三とは、公園やテレビゲームで遊ぶ時もいつも一緒だった。柔道も小学校時代、同じ道場で始めた。ただ、その理由は1人で稽古に行く一二三を心配した母に「勇もやってくれへん?」と頼まれたから。「強くなりたいとか、そういう意識はなかった。やらされているみたいな感じで捉えていたと思う」。

引用元:スポーツ報知

勇一朗さんは、自分がやりたくて柔道を始めたわけではなかったけれど、とても柔道のセンスが良くて成績も良かったようです。

成績は、

関東地区で表彰台に上がるほどの実力

でした。

引用元:朝日新聞

けれども、小学校6年で柔道はやめてしまいました。

それは、

・やらされている感が強かった
・柔道着のゴワゴワした着心地が嫌
・「強くなりたい」という向上心がわかない
・習い事の1つとしか考えられなかった

という理由からでした。

勇一朗さんは、本当に兄妹思いのお兄さんで、自分が柔道を辞めた後も一二三選手が県外に試合に行くときなどは、両親の代わりに付き添って行かれたり、ずっとサポートを続けられていました。

金メダルに向かって頑張っている兄妹に感動して、心動かされていたのでしょう。

地元ではきょうだいの中で「最も柔道センスがある」と評判で、関西地区で表彰台に上がるほどの実力だった。しかし「強くなりたい」という向上心が生まれず、習い事の1つという感覚だった。「楽しかったけど、2人のように世界一を目指すという目標はなかった」。小6で柔道をやめ、中学と高校では水泳部に所属した。

引用元:日刊スポーツ

勇一朗さんが高校に入ってからは、一緒に過ごす時間は減ってきたけれど、そんな時は一二三選手とコンビニに一緒に出掛けて他愛もない会話をして、精神面のサポートを自然とされていたようですね。

勇一朗さんが小学生の時にお母さんから、一二三選手のサポートとして柔道をやってほしいと言われ、献身的に弟の為に尽くされてきたことは、ただ兄だからできたこととは思えません。

父親とのトレーニングも一二三選手と一緒にやったりもしていたので、自分を犠牲にして尽くしていたように感じますね。

ご家族の長年の支えが、阿部一二三選手と詩選手の力となっていることが良くわかりますね。

パリオリンピックもぜひ頑張ってほしいです。

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