バウンディは2019年春頃からYouTubeに楽曲を投稿開始し、瞬く間にSNSで話題となり「東京フラッシュ」で爆発的な人気を得たアーティストです。
作詞、作曲、アレンジを全て自分でこなし、デザインや映像のディレクション、セルフプロデュースも手掛けるというマルチな才能を持った方です。
なんと、まだ2024年3月時点で23歳という若さ。
その才能はどのような家庭環境で育ったのでしょうか?
この記事ではバウンディの母親や妹について紹介し、どのような家庭で才能が育まれていったのかについてもお伝えしていきます。
バウンディの母はジャズボーカリスト!音楽が生活の一部
バウンディさんの母親は、
でした。
お母さんはバンドで歌っていたけれど、プロだったわけではないようです。
けれども、母方の祖父もジャズをやっていたとのことなので、かなり上手かったのではないかと想像できますね。
バウンディさんが幼少期の時に、お母さんのライブを観に行ったかどうかはわかりませんが、祖父もジャズが好きなら常に音楽に触れる環境だったと想像できますね。
ジャズはおしゃれな響きで世界中で愛されている音楽のジャンルです。
また、ジャズはアドリブで演奏する部分が多く、演奏するのに作曲をする力も必要になるジャンルです。
お母さんと、お祖父さんの音楽に触れながら育ったバウンディさんが、おしゃれでかっこいい曲を作られるのもなんとなくわかるような気がしますね。
また、家族や友達とカラオケに良く行って
と言われています。
歌の上手いお母さんの遺伝を受けて、小さな頃から歌が上手かったのですね。
幼い頃から、音楽は食事と同等に生活の一部だった。ジャズバンドでマイクを握った母親の影響で、家ではずっと音楽が流れ、家族や友達とよくカラオケに行った。「歌うとみんな褒めてくれた。その喜びが肥大化して今があるのかな」
引用元:読売新聞
母親の歌がバウンディの音楽のルーツなのかしら?
母親の影響もあったけれど、DTMとかを使ってパソコンで作曲するのがピッタリきたみたい。
バウンディさんは、お母さんにギターを買ってもらったりしても上手く弾けなかったそうです。
それによって、
ことを始めたそうです。
DTMとはDesk Top Music(デスクトップミュージック)の略で、パソコンを使用して音楽を作成編集する事の総称です。
引用元:島村楽器
パソコンで作曲することで工作と同じような、もの作りの感覚で創作できたのかもしれません。
もの作りが好きで、なんでも自分なりに工夫して創作することから発展したみたいですね。
母がジャズやハワイアンをクラブで歌っていたり、母方のおじいちゃんもジャズをやっていたりっていうのはあったんですけど、どちらもプロとかではなかったし、その影響というよりは、僕自身がもともともの作りが大好きで。
引用元:音楽ナタリー
母親の影響で音楽活動を始めたわけではないと言われていますが、もの作りはお母さんから来ているようです。
今のバウンディさんの土台を作ったのは、やはりお母さんではないでしょうか。
それについて、次から説明していきたいと思います。
バウンディの才能はもの作り教育で育った
バウンディさんのお母さんは、幼いバウンディさんに
と語られていました。
自分で作れるものは、できるだけ手作りすることを教えられていたようです。
それでゲーム機など欲しいものを、身近な段ボールや広告とかを使って工作して作られていたようです。
可愛い画像ですね。
このくらいの時から、工作など初めていたのかもしれませんね。
絵を描いたり、段ボールを使って自分でおもちゃを作ったりしていたんです。おもちゃは買ってもらうより、欲しいものは自分で作る家庭だったので。そういうことの延長で、音楽をやっている感じでした。
引用元:音楽ナタリー
いくらお母さんが言ったからって、友達がゲーム機とか持ってたら我慢できなかったんじゃない?
バウンディは買うよりも工夫することを楽しんでいたみたい。
根っから何かを作るのが好きだったのね。
バウンディさんが、子供の頃どんなものを作られていたかというと、
・仮面ライダーの変身ベルト
・ガンプラ(機動戦士ガンダムのプラモデル)
・ゲーム機
などを、段ボールや、広告を細く丸めて固い棒を作りそれを組み立てて作っていたとか。
特にガンプラは組み立てるパーツが無くなることが多くて、
していたそうです。
そして説明書は見ずに、プラモデルを組み立てていたため、不思議なものもできたと語っておられました。
パーツを失くしても気合いで完成させていました。プラ板でパーツを作ったりして。
僕、説明書を見て作れないんですよ。なので説明書を見ずに作って「なんだこれ?」っていうのができたり。今自分がやっている音楽も「なんだこれ?」みたいなもんだと思うんですけどね(笑)。
引用元:音楽ナタリー
なんでも自分で工夫して作り出すことを幼少期からやっていたとのことです。
自分で生み出す創作性を、バウンディさんは小さな頃から自然と身に着けていったみたいですね。
お母さんもは、子供に買って与えるよりも、
ことをされたのかもしれません。
だけど、こんなにみんなを熱狂させる音楽を、生み出す人になるとは思わなかったでしょう。
ダンボールで仮面ライダーの変身ベルトやゲーム機を作って遊んでいた幼少時代から、母親から与えられたカルチャーの原体験、実はクリエイターとしてすでにマルチだった歌い手時代、そしてひょんなことから入った音楽塾ヴォイスでの経験や今まさに卒業しようとしている大学での学びまで、Vaundyが選び、あるいは必然的に経由してきた場所や時間はすべて、たったひとつの矢印を辿っているように思える。
引用元:rockinon.com
お母さんは、バウンディさんが好きなこと、得意なことをよく観察して、その才能を伸ばすことをされたのかもしれませんね。
バウンディさんの曲の中にも、
と、思える歌詞がありました。
お母さんはずっと応援されていたのでしょう。
お母さんを大切に思われているエックスがありました。
「フジロックフェスティバル2021」に出演した時に、お母さんの誕生日をお祝いされていました。
バウンディの妹も芸術家?
バウンディさんには、
という情報があります。
それは次のエックスによってわかりました。
バウンディさんの22歳の誕生日に家に張られたイラストのようです。
毎年張られるとあるので、いつもお兄さんを思う仲の良さが伺えますね。
妹さんのことを公表されるのは珍しいんじゃない?
よっぽど嬉しかったのかも。自慢の妹なのかもしれないわね。
バウンディさんもイラストやMVなどで、音楽以外でも芸術的な才能を私たちに見せてくれていますが、妹さんもイラストが上手い!
お母さんの自分で創作させる育て方が、とても子供たちの才能を伸ばす良い環境を作られたようですね。
妹さんの年齢は一般人の方なので、公表されていませんが、イラストの完成度からバウンディさんとそれほど離れていないのではと思いました。
バウンディさんのように美術系の大学に通われてるかもしれませんね。