2024年パリのパラリンピック車椅子テニス代表の小田凱人さん。
9歳で骨肉腫を患ったことを期に車椅子テニスをはじめられ、数々の最年少記録を打ち立てられました。
小田凱人さんの偉業を支えたのはご両親でした。
小田凱人さんの短期間でのテニス選手としての成長には、ご両親の遺伝があったのかと思わせられます。
ご両親はもしかしてスポーツ選手?と思ってしまいますね。
この記事では小田凱人さんのご両親が何者なのか、どんなサポートをされてきたのかなどを調査してまとめてみました。
小田凱人の両親は何者?スポーツ選手?
引用元:ニフティニュース
小田凱人さんは9歳の時に骨肉腫により、左足の股関節と大腿骨の一部を人工骨に置き換える手術をしたことで、車椅子生活となりました。
小田凱人さんは骨肉腫になるまでは、サッカーをやっていて地元でも注目されるような優秀な選手でした。
そしてサッカー選手になるのが小田凱人さんの夢でした。
サッカーから車椅子テニスに転向しても最年少ですごい成績を残せる素質はどこからきたのでしょうか。
そこで気になるのが凱人さんのご両親は何かスポーツをされていたのかということです。
運動神経とか遺伝しやすいのかしら?
そうね、親がスポーツ選手だと天才的だったりするわね
実はご両親は、
ようです。
運動をされていたかも知れませんが父親は、
という情報があるだけでした。
凱人さんの超人的な努力によって今の偉業があるのでしょう。
けれども、それを支えるご両親のサポートがあってこそだと思います。
ではそのご両親のサポートに注目してエピソードをご紹介していきます。
小田凱人の父親は練習相手でサポート
凱人さんの父親は凱人さんがテニスを始めた時の最初の練習相手でした。
そして、
ということです。
最初にテニスをしたのはお父さんと近所の公園で。
その時の動画がこちらです。(9分18秒から開始)
凱人さんは病気になった時に、サッカー選手の夢を諦めなくてはいけなくなり、それが病気よりもつらいこととして記憶に残っているそうです。
そんな時に担当医師から、
と勧められました。
凱人さんは動画でいろんなパラスポーツを観察して、車椅子テニスを選ばれました。
それは、
に感動したからです。
それから凱人さんはテニスをすることを目標に、苦しい抗がん剤治療を乗り越えて退院されました。
それは医師も驚くほどの忍耐力で、
と言われていました。
父親として人工骨に置き換える手術後も毎日激痛に耐えている凱人さんの姿を見るのはとても悲しかったと思います。
少しでも苦痛を和らげるために、やりたいことを思いっきりさせてあげたいと思われたのでしょう。
お父さんは毎日練習に付き合ってくれたそうです。
そのことを凱人さんは2分の1成人式で涙ながらに感謝を伝えられていました。
その動画部分がこちらになります。(3分26秒から開始)
涙で言葉を詰まらせて続けられなくなっていますね。
父親がどれだけ自分を犠牲にして、練習を毎日してくれたかをわかっていて心から感謝されています。
小田凱人の母親流の励まし方
小田凱人さんの母親の名前は、
と言われます。
引用元:毎日新聞
ご両親とも一般人なので職業なども公表されていませんが、お母さんの名前は読売テレビニュースのインタビューで紹介されました。
母親の直子さんは、凱人さんが病気とわかって
と当時の気持ちを語られていました。
突然、命にもかかわる病気を告げられて愕然とされたことでしょう。
お母さんは凱人さんが入院してから、ずっと付き添い見守られてきました。
抗がん剤治療で食欲がないときや、手術後の激痛に苦しむ子供を見てどんなに辛かったかと思います。
直子さんは、いつも凱人さんを練習場所まで送迎されています。
テニス中心の生活をされていることについて直子さんは、
と語られています。
凱人さんの苦痛を取り除きたいと思ってもできない思いが現れてますね。
股関節の手術のあと2回にわたって肺に癌が転移した時も、
と悔しい思いをされたことでしょう。
お母さんはできるかぎり凱人さんのやりたいことができるように、練習なども好きなだけできるようにサポートしてこられました。
現在の凱人さんの練習拠点は、
です。
凱人さんの実家は
ですね。
当時から練習場所が変わっていなかったなら岐阜インターナショナルテニスクラブとの往復の送迎をされていたということになります。
片道17分と表示されていますが、スムーズにいかない場合もありますから、30分くらいかかったかもしれませんね。
ご両親は本当に頑張られましたね。
治療と手術後の激痛を支えたのは凱人さんの夢とやりたいことを、思い切りさせてあげたいというご両親の気持ちだったのでしょう。
小田凱人の両親が息子に願った名前の由来
「凱人」っていう名前はとっても変わってるわね。
「ときと」という読み方も変わってるわ。名前の由来は何かしら?
凱人さんの名前は大変珍しい漢字を使われてますね。
凱人さんの名前の、
だそうです。
パリのエトワール凱旋門にちなんだ命名をされていて、運命的なものを感じますね。
凱人さんが初めてグランドスラムを達成したのがパリの全仏オープン。
そして2024年にパリでパラリンピック出場という凱旋門のある場所で、勝どきをあげるように導かれているように感じます。
「凱人(ときと)」は、凱旋(がいせん)門にちなむ命名と聞く。凱という字の一つの意味は、勝ちどき。車いすテニスの小田凱人選手が、名前の通り、凱旋門のあるパリの全仏オープンで男子シングルスを制し、歓喜の声を上げた
引用元:中国新聞デジタル
ご両親は凱人さんの名前にどんな思いを込めて命名されたのでしょうか?
人生に何があっても勝利していってほしいと願われたのかもしれませんね。
小田凱人と両親が歩んだ世界一の軌跡
小学校3年生で骨肉腫になり、その後も2度肺に癌が転移するという大変な時期を通りながら、凱人さんはメキメキとテニスの腕を上げていかれました。
癌の再発があってもテニスが上達しているのは驚き!
治療で大変でもテニスの事を常に考えていたみたい。その気持ちがテニスの強さに現れたのかも。
大変な状態の中で、ご家族に支えられて掴んだ軌跡をご紹介します。
小田凱人の最年少記録
小田凱人さんのすごいところは、テニスをはじめてからわずか3年後には世界的な大会で優勝していったことです。
たくさんの最年少記録を達成されました。
- 2020年 世界Jr.マスターズ単複優勝(13歳8か月25日)
- 世界ジュニアランキング1位(14歳11か月18日)
- グランドスラム出場(16歳23日/2022年の全仏にて達成)
- NEC WHEELCHAIR SINGLES MASTERS優勝(16歳5か月29日)
- グランドスラム史上最年少優勝(17歳33日/2023年の全仏にて達成)
- ITF車いすテニス世界ランキング1位(17歳35日)
11歳の時には肺に転移して手術して、その後3ヶ月の抗がん剤治療をされています。
と、語られていますが、その間もテニスの事を研究して13歳8カ月で世界的な大会で優勝されました。
最年少でグランドスラム達成
2023年の全仏オープンでグランドスラム初優勝も最年少でした。
その後も、
2023年ウインブルドン
2024年全豪オープン
2024年全仏オープン
の優勝という快進撃です。
全仏オープンは2023年と2024年の2年連続優勝ですね。
素晴らしい!
パリでのパラリンピックの活躍を期待しています。